二光寺廃寺
- [公開日:2025年11月6日]
- ID:4378
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二光寺廃寺 金堂推定跡と金剛山
二光寺廃寺は御所市西北窪にある古代寺院の跡です。金剛山東麓のゆるやかな傾斜地に位置しており、奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によってその姿が明らかになりました。
「発掘調査成果」
発掘調査では、建造物の基礎となる基壇(きだん)と、建造物の柱を支える礎石(そせき)が見つかり、礎石建物(そせきたてもの)が建てられていたことがわかりました。多量の瓦や塼仏(せんぶつ)が出土したことから瓦葺建物である金堂があったとみられています。
「瓦」
出土した瓦の種類は多岐にわたり、合計11種類の軒瓦が確認されています。重要な点は、金剛山の東麓エリアに建立された朝妻廃寺や高宮廃寺、他地域の寺院の同じ型(笵)で作られた瓦や同文の瓦が二光寺廃寺からも出土していることです。
「塼仏」
塼仏とは板状の仏像のことで、粘土を笵(はん)に当てて製作されたものです。多種多様な塼仏が出土していますが、方形六尊連坐塼仏は二光寺廃寺独自のものとして注目されています。
「出土瓦からみえてくる造営した人々」
出土した瓦の型や文様から、さまざまな地域と複数の氏族(うじぞく)の協力があり瓦を入手することができたと考えることができます。この地は古墳時代から渡来系氏族(とらいけいしぞく)の営みがみられることや、渡来系氏族が建立したとされる他寺院で出土する瓦が出土したことなどから、二光寺廃寺の建立氏族は東漢氏(やまとのあやうじ)や朝妻廃寺の建立氏族といった渡来系氏族であると考えられます。
「建立と廃絶の時期」
出土した瓦の年代から、二光寺廃寺の創建は7世紀後半から末頃と考えられます。廃絶の時期は分かっていませんが、瓦堆積層の下から黒色土器(こくしょくどき)が出土していることから、金堂は平安時代前期頃に廃絶(はいぜつ)したのではないかと考えられています。
情報
- 住所
御所市西北窪 - 電話
- - 駐車場
無 - トイレ
無 - HP
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