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あしあと

    高宮廃寺跡

    • [公開日:2024年11月15日]
    • ID:4137

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    古代寺院

    高宮廃寺跡

    遺跡について

    御所市鴨神に所在する高宮廃寺跡は金剛山の中腹の平坦地、標高約550mに位置します。

    伽藍配置を復元することは現段階ではできていませんが、金堂、塔跡と思われる基壇と礎石が残っています。一部抜き取られている礎石もありますが、礎石の位置から東面する5間×4間の金堂が建っていたとみられ、桁行12.8m、梁間9.8mと考えられています。大半の礎石は当初の姿をとどめており、特に隅柱の礎石は円柱座と直角方向の地覆座が彫り出されています。金堂の南東約20mには塔跡と推定される基壇が残っています。心礎はなくなっていますが、自然石を利用した礎石があり、3間×3間の一片約5.5mの建物が建っていたと考えられています。

    過去に発掘調査が行われたことはありませんが、瓦と土器が採集されています。瓦はいくつかの種類がみつかっていますが、軒瓦でみつかっているのは藤原宮式の特徴を持つ複弁八弁蓮華文軒丸瓦と偏行唐草文軒平瓦です。そのほかには凸面に斜格子叩き、正格子叩きの痕跡を持つ平瓦が見つかっています。これらの瓦は藤原宮で使用された瓦と酷似しており、8世紀初頭の瓦であると考えられています。

    高宮廃寺跡は『日本霊異記』、『行基菩薩伝』に記載のある高宮寺と『日本書紀』に高宮という地名が登場するのみであり、寺院に関する資料がほとんどありません。しかし修験道の開祖、役行者が葛城山に住んでいたという記載が『続日本紀』にあります。役行者が活躍したのが7世紀後半から8世紀初頭にかけてとされており、山林寺院が造営される時代でもあります。また金剛山の中腹は立地環境が整っており、修行の地として古代には栄えていたのではないでしょうか。

     

    高宮廃寺跡の写真

    アクセス

    バス:奈良交通「東佐味」停留所下車徒歩約20分

    車:県道30号山麓線名柄交差点より南へ15分