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あしあと

    「條ウル神古墳」が国の史跡に指定

    • [公開日:2021年10月21日]
    • ID:3166

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    「條ウル神古墳」が国の史跡に指定されました

     令和3年6月18日、国の文化審議会が、文部科学大臣に対し御所市條の「條ウル神古墳」を国史跡に指定するよう答申を行い、令和3年10月11日付けで指定を受け、官報にて正式に告示されました。

     これにより、條ウル神古墳の文化的価値が、正式に国に認められました。

     文化財は、国民共有の財産であり、先人から受け継がれた文化遺産です。地域の宝である文化財を次世代に引き継ぐには、市民のみなさんの協力が不可欠です。今後とも、貴重な文化財を保護するための取り組みに対するご理解・ご協力をお願い申し上げます。

    国史跡とは

    文化財保護法に基づいて国が指定するもので、遺跡のなかでも特に重要なものを「史跡」といいます。

    御所市では現在「巨勢山古墳群」(室など)・「宮山古墳」(室)・「巨勢寺塔跡」(古瀬)・「水泥古墳」(古瀬)・「金剛山」(高天)・「高宮廃寺跡」(鴨神)の合計6つの遺跡が国史跡に指定されており、今回の條ウル神古墳で7番目の指定となります。

    「條ウル神古墳」について

     條ウル神古墳は巨勢山丘陵の近くにある古墳時代後期の古墳です。

     長さが60mから70mの前方後円墳または方墳とみられています。古くから石室の存在は知られていましたが、その規模があまりに大きいこと、石室入り口がわからなくなっていたことから、その真偽が不明でしたが、平成13年の確認調査によって、その石室が再発見され大きな話題となりました。

     全長15.6m以上、玄室の高さ4.2mに及ぶ巨大な両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室(※注1)を持ち、内部には長さ2.7mの刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)(※注2)が納められており、その規模は、欽明天皇の墓とも考えられている橿原市の丸山古墳や蘇我馬子の墓とされる明日香村の石舞台古墳など、国内屈指の規模を誇る石室、石棺に匹敵します。

    また、石棺の蓋も、長辺に各3つ、短辺に各1つの計8つの縄掛突起がある極めて珍しい特徴を持ち、遺物では、盗掘は受けているものの、金銅製の冠や青銅鏡の破片、銀製の装飾品などが出土しました。

     当時大きな力を持っていた巨勢氏の首長級の墓である可能性が高いことから、当時のヤマト政権中枢と古代氏族の関係を考えるうえで重要な古墳として、今回、国史跡に指定されました。

     石室は現在埋め戻されているために見学できませんが、道沿いから墳丘は眺めることができます。


    石室

    注1:両袖式(りょうそでしき)横穴式石室とは

     石室には古墳の上から長方形の穴を掘り、そこに棺を安置する竪穴式石室と、石材を積み上げ、古墳の側面に入り口を設けた横穴式石室があります。横穴式石室は、棺を安置する玄室(げんしつ)と通路にあたる羨道(せんどう)から成り、古墳の築造後に羨道を使って棺を搬入し埋葬されます。両袖式とは玄室と羨道の接続部が両袖のように左右に広がっているものをいい、他に無袖式・片袖式などの種類があります。(図1参照)

    石室の構造と名称

    注2:刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)とは

    石棺には、大きな石をくりぬいて身と蓋を作った刳抜式と、石材を加工して板石をつくり、それを組み合わせてつくった組合式のものがあります。その中で蓋の形が屋根形になっているものを家形石棺といいます。

    家形石棺の写真

    家形石棺(長辺に各3つ、短辺に各1つの計8つの縄掛突起があります)